大正デモクラシー

日清・日露両戦争の勝利により、日本は列強の一員に加えられ、世界一の絹製品の輸出量にもみられるように、軍事力・経済力は増大した。しかし、戦後の不景気や東北地方の飢饉など、国民の窮乏化も進み、日韓併合・大逆事件(明治43年)など暗い事件の続く中で明治は終わりを迎えた。

国民の間では閥族打破・憲政擁護をスローガンとした第一次護憲運動も生じ、吉野作造の民本主義にみられるような民主化への機運も生じてきた。

そして大正3(1914)年から4年続いた第一次世界大戦では、主たる戦場がヨーロッパであった関係で、日本は空前の好景気となって不況と財政危機は一掃され重化学工業の進展がみられた。

他方、米価の急上昇を始めとする物価の急騰は、都市勤労者・農民の困窮化を増大し、農民運動・労働運動が活発となった。大正元(1912)年に結成された友愛会は大正10(1921)年には日本労働総同盟となり、翌年には日本農民組合も組織された。これに先立つ大正8(1919)年には普選運動が活発化し、大正14(1925)年に普通選挙法と治安維持法がそれぞれ制定された。