大本教事件(第1次)と足立進三郎

京都府亀岡市に本拠をおいた大本教は、当時の日本の現状を鋭く批判し世直しをとなえて農民や市民の間に急速に広まっていた。政府は、大正9(1920)年出口王仁三郎らを不敬罪などの罪で逮捕・起訴した。足立進三郎は弁護人として「神憑り」を述べたにすぎず不敬に該らないと出口らの無罪を主張し、大本教、出口らの権利の擁護に努めた。

足立は昭和元(1926)年の大阪弁護士会長で数多くの反骨エピソードを有する。官尊民卑の思想が裁判官、検察官らの席と弁護人席の高さの違いにまで表れていた昭和初年のころ、横着な裁判長が審理中に、廷丁(廷吏のこと)を呼びつけて私用を言いつけていたという。足立はこれを見て廷丁に対し「日本国刑事訴訟法に基づいて弁護権を行使している最中に、廷丁は何をしているのか」と問いただす。すると裁判官は自ら叱られているのを察知してあわてて詫びを入れたという(会報128号大弁の歩み)。