破産事件と申し合わせ寄附金

不景気な時代を反映した事件で主要なものは借家の明渡問題であった。失業者が家賃を払えず家主からの明渡請求が多数発生したのである。地主、家主側の弁護士と、これに対抗する店子側の弁護士もいてお互い攻防を尽くしたはずだが、裁判官はかなり低額の月賦返済を認める和解を勧告することが多かったという。

昭和7年から8年、日本産業貯蓄銀行・愛国貯蓄銀行等大きな破産事件が発生した。預金債権者が7~14万人という規模で、大阪弁護士会の過半数を占める400人もの会員が無報酬で債権届出の手続を行い賞賛された。

これに対して数多くの管財人はその一方でこれまでないような報酬を挙げていた。このことが契機となり、報酬の一割を寄付すべきだという議論が出るに至り、総会にかけられた。報酬の一部を寄附すべきか否かという問題は結局決議すべきでなく、強制するものでもないという意見が大勢を占め、義務的な納付金ではなく、現在まで続く申し合わせ寄附金ということになったのである。尚、この時には大阪弁護士会の一部の弁護士が零細な貯金債権者を組織して著名な財界人取締役に対する損害賠償請求訴訟を提起するなどしている。まさしく現在いうところの関与者責任の追及の始まりということであろう。