思想・学問・信教の自由に対する抑圧

(1)京都学連事件

大正14(1925)年学生運動の昂まりの中で全国49校の学生が参加して日本学生社会科学連合会が結成された。これに参加していた京大の学生が軍事教練反対の運動をしたことをきっかけに全国で38人の学生が治安維持法違反で逮捕され、同法の適用第一号となった。

(2)3・15事件(昭和3年)、4・16事件(昭和4年)

3・15事件は、昭和3(1928)年の第1回普通選挙の際の日本共産党の公然活動に向けられたもので、弁護士を含む1600人余りが検挙された。

4・16事件は「改正」後に日本共産党に対する二度目の全国的な一斉検挙で、両事件併せて800人近い人が起訴され、弁護人らが統一公判請求をしたことに向けて法廷侮辱罪の新設が検討された。

(3)滝川事件・大本教事件(第二次)

国民の思想等の自由に対する抑圧は、やがて学者の研究そのものも対象とするようになった。その一つが昭和8(1933)年の滝川事件である。

政府は、滝川教授の刑法読本を発禁処分とし、更に京都大法学部の教授会の反対を押し切って同教授を免官処分とした。

宗教に対する弾圧も引き続き行われた。国民の間の社会不安等の反映のためか、新興宗教団体の活動も活発となっていたが、昭和3(1928)年奈良の天理研究会の教祖ら人が検挙されその内180人が起訴された(天理研究会事件)。

更に昭和10(1935)年政府は先の弾圧から立ち直り、復古的天皇主義と神霊実在の立場から日本の立て直しをスローガンとして活発な活動を続けていた大本教を治安維持法違反などを理由として過酷な弾圧を加えた(第二次大本教事件)。

足立進三郎はこの2つの事件で教祖の大西や出口王仁三郎の弁護をつとめ控訴院においてはいずれも無罪(但し出口については治安維持法違反のみ)を勝ちとっている。

(4)ひとのみち教団事件

第二次大本教事件の翌(昭和11)年大阪府警特高課は、ひとのみち教団の初代教祖等を検挙の上、不敬罪で教団ともども起訴した。「病気・不幸」等に対し、教祖が身代わりになるという教義に多くの人が共感を覚えたことに対し、警察は「皇室・教育勅語」を自らの教義普及に巧妙に利用する教団の布教方法に疑念を抱いたものであるといわれている。このような教団等の弁護には川崎斉一郎・白川朋吉・一松定吉らが他の弁護士らと共に従事した。